Goh Hotoda (ゴウ・ホトダ)

Career (略歴)
1960年生まれ。
父親を著名な木彫家、(樋口シン)、母親を声楽家に持つ家庭環境に東京都に生まれ育つ。
1970年 家族で渡米、ワシントンDCで幼年期を過ごす。
1979年 再渡米
CHICAGO UNIVERSAL RECORDING STUDIO
音楽、プロデユースの制作現場でアシスタント・エンジニアとしての第一歩を踏む。
RAMSEY LEWIS, CHICAGO ARTS ENSMBLE, CHICAGO BLUES等多くのJAZZ/BLUES RECORDINGの現場を数多く経験する。
1980年 CHICAGO HOUSE MUSIC 元年に数多くのハウス・ミックスを手がけその後,ポップスに史跡を残すハウス・ミュージックの基礎を残す。
1985年〜1986年 Los Angels, New Yorkを旅して当時において著名なエンジニア、プロデユーサーとの会見、アシスタントとして指示指導を受ける。
1987年 活動の拠点をNEW YORKに移し、シカゴ・スタイルのハウス・ミュージックを当時のリミックスに紹介、数多くのシングル及びリミックスにハウス・ミュージックのインフルーエンスを与えたミックスを残す。
1991年 MADONNAと出会い、ハウス・ミュージックの頂点となるVOUGUEのプロダクション及びミックスを担当、後に、アルバム”EROTICA”、ベスト・アルバム”Immaculate Collection”のミックス等。その後、イギリスに 渡英DEPECHE MODE “Violator”のアルバム・ミックスを担当 NEW YORKに帰国後も旺盛にその活動を続けCHAKA KHAN アルバム"Woman I am"はグラミー賞を得る。 この作品きっかけに数多くのR&Bアーチスト・プロデューサーと出会い、現代のR&Bの基礎となるスタイル、アーチスト達のミックスを手がける。
1995年 ニューヨークにて坂本龍一に出会い”再生YMO”のアルバムのミックスを手がけその功績を評価され、TOKYOドームにおけるコンサートに第4のメンバーとしてステージに乗る。その後、坂本氏とは1999年<オペラ・LIFE>にいたるまでBrain Depalma監督『SNAKE EYE』その他、坂本氏プロデユースのサントラ、オーケストラの録音、ミックスを担当。
1998年 ニューヨークにて宇多田ヒカル、テルザネ氏を紹介されデビュー・アルバム"FIRST LOVE"のレコーデング、ミックス
その後通算国内発売のデビュー以降のアルバム3枚の全てのミックス、全国ツアーの音響監督を勤める。
1999年 フランス、パリへ渡仏。
ヨーロッパフランスでの活動を始めるべく数多くの音楽家達との交流を深めその中でも大きな影響を与えてくれたアラブ人との親交を深め翌年2000年、アルジェリア人の歌手<FAUDEL>をプロデユース、今日にいたるまでのノウハウすべてを駆使した作品をして約10万枚セールスの成功を収める。
同年、レバノン、ベイルート、エジプトまでその活動範囲を広げ、数多くのアラブのアーチスト・歌手のプロデユース、ミックスを手がける。その他フランス歌手、Diane Tell, Jill Caplan等のミックスを手がける。
その後、2001年春までパリに居を構えてニューヨークとパリを往復しながら活動をする。
2000年 古くからの友人であるMARCUS MILLERとプロデユースのDAVID SAMBORNのアルバムミックスを担当 "inside"同作品はグラミー賞を得る。
2001年 往年に仕事を通じて旧友であったNOKKOと結婚。ユニット<NOKKO&GO>を結成。アルバム"宇宙のコモリウタ"発表。
2004年 宇多田ヒカル、(UTADA名義)での米デビュー・アルバム「EXODUS」のエンジニア・ミックス。
2005年 自主レーベル GO &NOKKO ltdを日本に設立、アルバム"Inventions and Sinfonias "(GKCA-1)を発表、発売。 世界産婦人学会の環境問題等に関する機関にこのアルバムより音楽提供、Philippe Saisse TRIO “body and soul sessions”(MTCJ-3025)をプロデュース、GO &NOKKO ltd.よりOctober 2005 ポリスターよりライセンス契約、翌April 2006 アメリカ・Rendezvous Entertainment, LLよりライセンス契約発売。
アメリカ全米ラジオでヒットビルボードラジオチャート1位を獲得 (2007年現在もこのアルバムよりの抜粋がシングルチャート上位取得中)
2006年 奈良出身、和太鼓グループ“倭”、殺陣グループ“カムイ”のコラボレーションによるヨーロッパ公演の舞台音楽を作成、
プロデュース
同2006年フランスPSCHENT社のアーチスト”P.L.Y”をプロデュース。
2007年 日本にインターネットを活用したデータのやり取りで制作を行える最新環境を整えたプライベート・スタジオ studio GO and NOKKOを構築。
MARCUS MILLER、布袋寅泰、今井美樹、女性R&Bシンガー"DOUBLE"、フランスのLILCUBEなどアルバムミックス 。
同年9月東京で開かれた2007年DIOXIN国際シンポジウム東京のオープニング・セレモニーの演出を作成プロデュース、環境問題を重視した演出は音響、合成的な手法を一切使用しない人間だけが表現できるステージを作り、和太鼓『倭』と2期会のメンバーによる混成合唱、ポップス色のボーカル(NOKKO)、竹を打楽器とし、篠笛をミックスしたステージは学会の主旨なる要望に答えて絶賛を得る。
2008年、日本-フランス国際親善に向けて、GO and NOKKO レーベルよりリリースを計画中のParis Faubourgsプロジェクト、フランスの古典的なポップス、映画音楽などを現代アレンジに置き換えたDVD/ソングブックを製作中、及び 久しぶりとなるNOKKOソロ名義のアルバムを2008年1月に向けてのリリース予定現在製作中。
プロデューサー/ ミックスエンジニア
1960年生まれ。東京都出身。シカゴでキャリアをスタートし、1990年マドンナの『VOGUE』のエンジニアリングを務め、今ではポピュラーとなったハウス・ミュージックの基盤を作った。 その後ジャネット・ジャクソン、ホイットニー・ヒューストン、坂本龍一、宇多田ヒカルなどの一流アーティストの作品を手がけ、トータル5800万枚以上の作品を世に送り出す。2度のグラミー賞受賞作品など世界的にも高い評価を受けている。
仕事を通じ10年来の付き合いのあった『REBECCA』のNOKKOと2001年に結婚。『NOKKOandGO』を結成。
現在は日本国内にICON D-Control システムをベースとするスタジオを所有しており、米国とフランス、日本を中心に活動中。
1960年生まれ。東京都出身。シカゴでキャリアをスタートし、1990年マドンナの『VOGUE』のエンジニアリングを務め、今ではポピュラーとなったハウス・ミュージックの基盤を作った。 その後ジャネット・ジャクソン、ホイットニー・ヒューストン、坂本龍一、宇多田ヒカルなどの一流アーティストの作品を手がけ、トータル5800万枚以上の作品を世に送り出す。2度のグラミー賞受賞作品など世界的にも高い評価を受けている。
仕事を通じ10年来の付き合いのあった『REBECCA』のNOKKOと2001年に結婚。『NOKKOandGO』を結成。
現在は日本国内にICON D-Control システムをベースとするスタジオを所有しており、米国とフランス、日本を中心に活動中。

Career (略歴)
1960年生まれ。
父親を著名な木彫家、(樋口シン)、母親を声楽家に持つ家庭環境に東京都に生まれ育つ。
1970年 家族で渡米、ワシントンDCで幼年期を過ごす。
1979年 再渡米
CHICAGO UNIVERSAL RECORDING STUDIO
音楽、プロデユースの制作現場でアシスタント・エンジニアとしての第一歩を踏む。
RAMSEY LEWIS, CHICAGO ARTS ENSMBLE, CHICAGO BLUES等多くのJAZZ/BLUES RECORDINGの現場を数多く経験する。
1980年 CHICAGO HOUSE MUSIC 元年に数多くのハウス・ミックスを手がけその後,ポップスに史跡を残すハウス・ミュージックの基礎を残す。
1985年〜1986年 Los Angels, New Yorkを旅して当時において著名なエンジニア、プロデユーサーとの会見、アシスタントとして指示指導を受ける。
1987年 活動の拠点をNEW YORKに移し、シカゴ・スタイルのハウス・ミュージックを当時のリミックスに紹介、数多くのシングル及びリミックスにハウス・ミュージックのインフルーエンスを与えたミックスを残す。
1991年 MADONNAと出会い、ハウス・ミュージックの頂点となるVOUGUEのプロダクション及びミックスを担当、後に、アルバム”EROTICA”、ベスト・アルバム”Immaculate Collection”のミックス等。その後、イギリスに 渡英DEPECHE MODE “Violator”のアルバム・ミックスを担当 NEW YORKに帰国後も旺盛にその活動を続けCHAKA KHAN アルバム"Woman I am"はグラミー賞を得る。 この作品きっかけに数多くのR&Bアーチスト・プロデューサーと出会い、現代のR&Bの基礎となるスタイル、アーチスト達のミックスを手がける。
1995年 ニューヨークにて坂本龍一に出会い”再生YMO”のアルバムのミックスを手がけその功績を評価され、TOKYOドームにおけるコンサートに第4のメンバーとしてステージに乗る。その後、坂本氏とは1999年<オペラ・LIFE>にいたるまでBrain Depalma監督『SNAKE EYE』その他、坂本氏プロデユースのサントラ、オーケストラの録音、ミックスを担当。
1998年 ニューヨークにて宇多田ヒカル、テルザネ氏を紹介されデビュー・アルバム"FIRST LOVE"のレコーデング、ミックス
その後通算国内発売のデビュー以降のアルバム3枚の全てのミックス、全国ツアーの音響監督を勤める。
1999年 フランス、パリへ渡仏。
ヨーロッパフランスでの活動を始めるべく数多くの音楽家達との交流を深めその中でも大きな影響を与えてくれたアラブ人との親交を深め翌年2000年、アルジェリア人の歌手<FAUDEL>をプロデユース、今日にいたるまでのノウハウすべてを駆使した作品をして約10万枚セールスの成功を収める。
同年、レバノン、ベイルート、エジプトまでその活動範囲を広げ、数多くのアラブのアーチスト・歌手のプロデユース、ミックスを手がける。その他フランス歌手、Diane Tell, Jill Caplan等のミックスを手がける。
その後、2001年春までパリに居を構えてニューヨークとパリを往復しながら活動をする。
2000年 古くからの友人であるMARCUS MILLERとプロデユースのDAVID SAMBORNのアルバムミックスを担当 "inside"同作品はグラミー賞を得る。
2001年 往年に仕事を通じて旧友であったNOKKOと結婚。ユニット<NOKKO&GO>を結成。アルバム"宇宙のコモリウタ"発表。
2004年 宇多田ヒカル、(UTADA名義)での米デビュー・アルバム「EXODUS」のエンジニア・ミックス。
2005年 自主レーベル GO &NOKKO ltdを日本に設立、アルバム"Inventions and Sinfonias "(GKCA-1)を発表、発売。 世界産婦人学会の環境問題等に関する機関にこのアルバムより音楽提供、Philippe Saisse TRIO “body and soul sessions”(MTCJ-3025)をプロデュース、GO &NOKKO ltd.よりOctober 2005 ポリスターよりライセンス契約、翌April 2006 アメリカ・Rendezvous Entertainment, LLよりライセンス契約発売。
アメリカ全米ラジオでヒットビルボードラジオチャート1位を獲得 (2007年現在もこのアルバムよりの抜粋がシングルチャート上位取得中)
2006年 奈良出身、和太鼓グループ“倭”、殺陣グループ“カムイ”のコラボレーションによるヨーロッパ公演の舞台音楽を作成、
プロデュース
同2006年フランスPSCHENT社のアーチスト”P.L.Y”をプロデュース。
2007年 日本にインターネットを活用したデータのやり取りで制作を行える最新環境を整えたプライベート・スタジオ studio GO and NOKKOを構築。
MARCUS MILLER、布袋寅泰、今井美樹、女性R&Bシンガー"DOUBLE"、フランスのLILCUBEなどアルバムミックス 。
同年9月東京で開かれた2007年DIOXIN国際シンポジウム東京のオープニング・セレモニーの演出を作成プロデュース、環境問題を重視した演出は音響、合成的な手法を一切使用しない人間だけが表現できるステージを作り、和太鼓『倭』と2期会のメンバーによる混成合唱、ポップス色のボーカル(NOKKO)、竹を打楽器とし、篠笛をミックスしたステージは学会の主旨なる要望に答えて絶賛を得る。
2008年、日本-フランス国際親善に向けて、GO and NOKKO レーベルよりリリースを計画中のParis Faubourgsプロジェクト、フランスの古典的なポップス、映画音楽などを現代アレンジに置き換えたDVD/ソングブックを製作中、及び 久しぶりとなるNOKKOソロ名義のアルバムを2008年1月に向けてのリリース予定現在製作中。









